私たちは、創業から一貫して生活者の健康と美へ貢献することを目指し、
時代の変化にあわせて革新を続けています。
私たちは、創業から一貫して生活者の健康と美へ貢献することを目指し、
時代の変化にあわせて革新を続けています。
日本の医療水準や人々の栄養状態がまだ十分ではなかった20世紀初頭、当社は大衆薬で病気の予防と健康増進を支援しようと創業しました。
第二次世界大戦後はいち早い復興を目指し、工場に新技術を導入して製品を拡充するほか、医療用医薬品の販売も開始しました。やがて民間放送が始まりテレビが急速に普及すると、親しみやすいシンボルマーク「ワシのマーク」を活用した広告宣伝で、大正製薬の名は一気に知られるようになりました。
日本の医療水準や人々の栄養状態がまだ十分ではなかった20世紀初頭、当社は大衆薬で病気の予防と健康増進を支援しようと創業しました。
第二次世界大戦後はいち早い復興を目指し、工場に新技術を導入して製品を拡充するほか、医療用医薬品の販売も開始しました。やがて民間放送が始まりテレビが急速に普及すると、親しみやすいシンボルマーク「ワシのマーク」を活用した広告宣伝で、大正製薬の名は一気に知られるようになりました。
人々の病気予防・健康増進に貢献するため、1軒の小さな薬局を母体に「大正製薬所」を創業。大正製薬の歴史はここからスタートしました。
人々の病気予防・健康増進に貢献するため、1軒の小さな薬局を母体に「大正製薬所」を創業。大正製薬の歴史はここからスタートしました。
「パブロン」の名を冠した初の製品。最初の「パブロン」は、せきを鎮める効果のある生薬のエキスを主剤としたせき止め薬でした。
「パブロン」の名を冠した初の製品。最初の「パブロン」は、せきを鎮める効果のある生薬のエキスを主剤としたせき止め薬でした。
当社のシンボルマークとしてワシのマークを商標登録し、製品の広告宣伝にて活用し始めました。誰にもわかりやすくインパクトのあるこのマークで、大正製薬の知名度は一気に上昇しました。
当社のシンボルマークとしてワシのマークを商標登録し、製品の広告宣伝にて活用し始めました。誰にもわかりやすくインパクトのあるこのマークで、大正製薬の知名度は一気に上昇しました。
国民健康保険が始まり、製薬業界の成長を見据えた当社は、医療用医薬品への進出を決意。初の医療用医薬品となる乾癬治療薬「ソリオン」を発売しました。
国民健康保険が始まり、製薬業界の成長を見据えた当社は、医療用医薬品への進出を決意。初の医療用医薬品となる乾癬治療薬「ソリオン」を発売しました。
1960年代、高度経済成長期を迎えた日本では、仕事や暮らしに活気があふれるとともに健康へのニーズが高まります。そうした社会状況を背景に、ドリンク剤「リポビタンD」が空前の大ヒットを記録しました。当社は大衆薬メーカーとしてゆるぎない地位を確立していきます。
1970年代は長引く大不況のなかで営業体制の整備を図り、1980年代には研究開発力の強化に注力しました。そして、海外との事業提携や医療用医薬品事業の拡大を推進し、総合医薬品メーカーとしての地歩を固めていきます。
1960年代、高度経済成長期を迎えた日本では、仕事や暮らしに活気があふれるとともに健康へのニーズが高まります。そうした社会状況を背景に、ドリンク剤「リポビタンD」が空前の大ヒットを記録しました。当社は大衆薬メーカーとしてゆるぎない地位を確立していきます。
1970年代は長引く大不況のなかで営業体制の整備を図り、1980年代には研究開発力の強化に注力しました。そして、海外との事業提携や医療用医薬品事業の拡大を推進し、総合医薬品メーカーとしての地歩を固めていきます。
アンプル剤が主流だった当時に、その量を増やすことで薬くささを薄め、さらに味をつけ冷やして飲むという発想により「リポビタンD」が誕生しました。ドリンク剤文化を新たに創りだし、大衆薬分野のトップランナーとなりました。
アンプル剤が主流だった当時に、その量を増やすことで薬くささを薄め、さらに味をつけ冷やして飲むという発想により「リポビタンD」が誕生しました。ドリンク剤文化を新たに創りだし、大衆薬分野のトップランナーとなりました。
「リポビタンD」を台湾へ輸出することで当社の海外事業がスタートしました。1965年にはタイへの輸出を開始し、以降、東南アジアを中心に販売を拡大しました。
「リポビタンD」を台湾へ輸出することで当社の海外事業がスタートしました。1965年にはタイへの輸出を開始し、以降、東南アジアを中心に販売を拡大しました。
将来ある若手が経済的理由で研究を断念することがあってはいけない――。そんな思いから、財団法人上原記念生命科学財団を設立しました。日本の生命科学研究発展のため、また人々の健康と福祉の向上のために、研究への助成などを開始しました。
将来ある若手が経済的理由で研究を断念することがあってはいけない――。そんな思いから、財団法人上原記念生命科学財団を設立しました。日本の生命科学研究発展のため、また人々の健康と福祉の向上のために、研究への助成などを開始しました。
世界的水準でのオリジナルな抗生物質の創製は至難とされた時代に、国際レベルの抗生物質「クラリス錠」を発売し、研究開発部門の高い水準を示しました。
発売以降、適応の追加や製剤の改良を重ね、世界各国で販売されるまでに成長しました。
世界的水準でのオリジナルな抗生物質の創製は至難とされた時代に、国際レベルの抗生物質「クラリス錠」を発売し、研究開発部門の高い水準を示しました。
発売以降、適応の追加や製剤の改良を重ね、世界各国で販売されるまでに成長しました。
市場が成熟化するなか、製品の伝統や信頼性、高品質で差別化を図るため、有力ブランドを買収していく戦略を推進。P&Gグループから便秘薬「コーラック」の事業を承継しました。
市場が成熟化するなか、製品の伝統や信頼性、高品質で差別化を図るため、有力ブランドを買収していく戦略を推進。P&Gグループから便秘薬「コーラック」の事業を承継しました。
これまで「リポビタンD」は「医薬品」であり、薬局・薬店でしか販売されませんでした。医薬品販売の規制緩和によって「医薬部外品」となり、コンビニやスーパー、自動販売機などでも取り扱いが始まり、人々にとって「リポビタンD」はさらに身近な存在となりました。
これまで「リポビタンD」は「医薬品」であり、薬局・薬店でしか販売されませんでした。医薬品販売の規制緩和によって「医薬部外品」となり、コンビニやスーパー、自動販売機などでも取り扱いが始まり、人々にとって「リポビタンD」はさらに身近な存在となりました。
「ミノキシジル」の技術導入契約締結から実に14年の歳月を経て、日本初の壮年性脱毛症における発毛剤「リアップ」を発売しました。医療用医薬品としての実績を経ず、OTC医薬品として認められたことから、日本初のダイレクトOTC医薬品となりました。
「ミノキシジル」の技術導入契約締結から実に14年の歳月を経て、日本初の壮年性脱毛症における発毛剤「リアップ」を発売しました。医療用医薬品としての実績を経ず、OTC医薬品として認められたことから、日本初のダイレクトOTC医薬品となりました。
世界的な不況を背景に、製薬業界では大手企業によるM&Aや企業再編が活発に行われました。
そうしたなか当社は、国内外の競争力を高めるため、OTC医薬品のブランド買収、健康食品や通販事業への進出、他社との業務・資本提携、アジアにおけるOTC医薬品事業などを積極的に推進していきます。セルフメディケーション事業と医薬事業を両輪とし、人々の健康をトータルサポートするグローバル企業へと進化を続けています。
世界的な不況を背景に、製薬業界では大手企業によるM&Aや企業再編が活発に行われました。
そうしたなか当社は、国内外の競争力を高めるため、OTC医薬品のブランド買収、健康食品や通販事業への進出、他社との業務・資本提携、アジアにおけるOTC医薬品事業などを積極的に推進していきます。セルフメディケーション事業と医薬事業を両輪とし、人々の健康をトータルサポートするグローバル企業へと進化を続けています。
医薬品メーカーとして、安全性と有効性をベースにした製品開発で人々をサポートしようと、健康に関連した食品のトータルブランド「Livita」(リビタ)を発表し、セルフメディケーション事業の周辺領域として食品展開を強化していきました。
医薬品メーカーとして、安全性と有効性をベースにした製品開発で人々をサポートしようと、健康に関連した食品のトータルブランド「Livita」(リビタ)を発表し、セルフメディケーション事業の周辺領域として食品展開を強化していきました。
生活者の購買スタイルへの対応と販売チャネル拡大のため、通信販売専用サイト「大正製薬ダイレクト」を開設しました。科学的データに基づいた製品の特長や、生活者にとって役立つ情報をわかりやすく発信しました。
生活者の購買スタイルへの対応と販売チャネル拡大のため、通信販売専用サイト「大正製薬ダイレクト」を開設しました。科学的データに基づいた製品の特長や、生活者にとって役立つ情報をわかりやすく発信しました。
ビオフェルミン製薬の連結子会社化により、整腸剤領域における日本でのトップブランド「ビオフェルミン」を獲得しました。
ビオフェルミン製薬の連結子会社化により、整腸剤領域における日本でのトップブランド「ビオフェルミン」を獲得しました。
米国BMS社(Bristol-Myers Squibb)が保有する、アジアにおけるOTC医薬品の商標権とBMSI社(PT Bristol-Myers Squibb Indonesia Tbk)株式を取得。アジア地域におけるOTC医薬品事業へ本格的に参入をスタートしました。
米国BMS社(Bristol-Myers Squibb)が保有する、アジアにおけるOTC医薬品の商標権とBMSI社(PT Bristol-Myers Squibb Indonesia Tbk)株式を取得。アジア地域におけるOTC医薬品事業へ本格的に参入をスタートしました。
マレーシアの医療用皮膚病薬領域でトップシェアを誇るHOE社(Hoepharma Holdings Sdn. Bhd.)の全株式を取得しました。同社はアジアを中心に世界40カ国で製品を販売しています。このM&Aにより、マレーシアでのセルフメディケーション事業に本格参入し、アジア地域の事業を拡大しました。
マレーシアの医療用皮膚病薬領域でトップシェアを誇るHOE社(Hoepharma Holdings Sdn. Bhd.)の全株式を取得しました。同社はアジアを中心に世界40カ国で製品を販売しています。このM&Aにより、マレーシアでのセルフメディケーション事業に本格参入し、アジア地域の事業を拡大しました。
糖尿病治療薬の研究を開始してから7年。自社で創製・開発し、製造販売承認を有するSGLT2阻害剤「ルセフィ錠」を発売しました。
糖尿病治療薬の研究を開始してから7年。自社で創製・開発し、製造販売承認を有するSGLT2阻害剤「ルセフィ錠」を発売しました。
グループ会社であるトクホンとの共同開発により、変形性関節症治療における貼付剤「ロコアテープ」を発売しました。
グループ会社であるトクホンとの共同開発により、変形性関節症治療における貼付剤「ロコアテープ」を発売しました。
2016年に持分法定期用関連会社となったベトナムの製薬企業であるハウザン製薬(DHG社)を連結子会社化。
2016年に持分法定期用関連会社となったベトナムの製薬企業であるハウザン製薬(DHG社)を連結子会社化。
フランスのUPSA社の株式を取得しました。欧州における強固な事業基盤を獲得し、当社が持つ日本・東南アジアの事業基盤との地域的な補完関係を構築しました。
フランスのUPSA社の株式を取得しました。欧州における強固な事業基盤を獲得し、当社が持つ日本・東南アジアの事業基盤との地域的な補完関係を構築しました。
一般的なIgG抗体の約1/4の分子量である、抗TNFαナノボディ®製剤の「ナノゾラ」を発売しました。2023年には新剤型であるオートインジェクターが新たに加わりました。
一般的なIgG抗体の約1/4の分子量である、抗TNFαナノボディ®製剤の「ナノゾラ」を発売しました。2023年には新剤型であるオートインジェクターが新たに加わりました。
ダイレクトOTCとして、「腹部が太めな方※1の内臓脂肪および腹囲の減少(生活習慣改善の取り組みを行っている場合に限る)」の効能をもつ日本初の内臓脂肪減少薬「アライ」を発売しました。
ダイレクトOTCとして、「腹部が太めな方※1の内臓脂肪および腹囲の減少(生活習慣改善の取り組みを行っている場合に限る)」の効能をもつ日本初の内臓脂肪減少薬「アライ」を発売しました。